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驕るのと、堂々とするのは違う
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
良い人々と出逢えたら、良い思いをしたら、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
親切にされたら、助けられたら、
悪い事をしようとは思わない。まず。
それは、カルマなんで名前のつくものではなく、
人間として、当然の心理だと思う。
自分だけに盛り上がってる時、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
ふと、インドの地震のニュースをみて、
正気に戻った。
人間て、自分をかわいがるのに、キリがないんだ。
感じてるだけの時間がある。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
思考は、停止している。
心と脳を持ってるんだけど、
心しか働いていない。
とっても、気持ちいいんだよ
いわば、永遠の思考、永遠の疑問を求めてる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そう、永遠の。
それを求める事は、
きっと、
永遠の悲しみ、永遠の喜びetcにしか興味がないことになるのかも
感情は、文字にならない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
こんな感じ、としか言いようがない。
今日は、あんな感じだった。
1人でいる時は、というか、回りに人が存在していない時は、ずっと哲学してられる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
淋しさも楽しさも悲しさも怒りも恥じらいも焦りもムカつきも、なにもない。
ただ、考えを巡らせてるだけ。
できればずーっと考えていたいが、
そうもいかない。
人といる時の自分は違うのさ。
プライドとかを持ってる
すっごいたくさんの偶然が重なって、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
今、私はここにいるんだ。
でも、その偶然が重なってできた道が、
たった一つある、自分の道なんだ
自分のことだけど考えた時の、やることと、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
回りの人々のことも考えた時の、行動は、
違う
無理して何かをやろうとは思わない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
旅したくなったら、するだけ。
行きたいとこ見つかったら、行くだけ。
どこもないんだったら、どこにも行かないだけ。
やりたくなったら、やるだけ。
やりたいから、やるだけ。
自分を磨き上げたい人。何か、を知りたい人。人間にあまり興味ない人。現代の生活に興味ない人。言葉にする前に考えちゃう人。すぐ、やっちゃう人。背骨がSの字の人。だから、左右対称じゃない人。すぐ肩凝る人。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私はどっちかというと考える人。写真が好きな人。青空が好きな人。人見知りする人。心開くのが下手な人。1人でいるのが好きな人。いつか死ぬのわかってる人。女の子が好きな人。人生の目的が名声じゃない人。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
自分の心を掃除すること。でもってこれがとても気持ちいい。歯磨くみたいに。たまった洗い物、全部洗ったときみたいに。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
それで、その心をどう、形に変えるか、考える。
今日は、どんな写真を撮ろう?って、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
考えて、まずすることが、自分の心に正直になる。
心のもやを消して、本当の姿を知る。
だからソクラテスの存在は知らないけど、彼の考えと言われている考えは、私が知った時点で、明らかに存在してる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私の中で、確実に存在してる。
目に見えないもの
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
信じればあるし、信じなければ、ない。
愛。が、そう。でも、考えは、目には見えないけど、
ない、とは否定できない。目に見えないけど、言葉にして、それを聞けば、その時点でそれは存在したことになる。言葉の存在。思考の存在。
私の理性
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私がそれを知ってるからそう思うだけ。知らなかったら、そんなのここに誰がいたとか、関係ない。
しかも、2500年前の話。信じないという立場をとった時点で、それは、なかったことになる。その存在は。
信じる→ソクラテスはいた。信じない→ソクラテスはいなかった。
唯一の真実は今
じゃあ、ぜーーーんぶ知ったら(全部の存在を把握したら)、誰にとっても、同じ面があるのかな?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
存在論
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私がいなかったら、この世界もない。
私にとって存在する→私が知る
私が見る
私が触る
私が聞く
私が見なくてもある→私にとってないもの
↑この世界のすべて
単純に私が今まで一度も物乞いの人、貧しい人を見た事ないし、知らなかったら、みんな、この世界は、それなりの生活ができてる、と思う。たとえ、物乞いの人がいてものね。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
経験に、規則性はあるのか?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そろそろ、1人で居るのにも飽きてきた。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
何が足りないって、愛が足りない
心が50kgになったら、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
あなたに会いにいく
ピントが合ってる、っていうのが、物を見るときの一応の基準。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
でも、ピントがずれてても、その「物」自体は変わらない。イヤ、変わるのか?
見る、っていうのは、一つの判断基準に過ぎない?
哲学的なこと。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そんなこと、どーでもいーさ、って自分と、
無意識に考えてる自分と、
それが私
青空と星空に、「飽きる」という言葉は、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
かなり関係ない。
雲が形を変えるんだ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
淋しさも、受け止められたら、いいのになあ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
写真も色々あるなあ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
クライアントの希望通りに撮れるカメラマン。
自分の頭の中のイメージを写真に収める、表現するカメラマン。
自分の何となくの主張を表そうとするカメラマン。
冷水をぶっかけるように、現実を追い続けるカメラマン
んで、今日久しぶりにゲイバー言って、いわゆる、creativeなのさ。で、私はまた、日本みたいなfeelingがでてきた。やっぱそれを分かってくれる人が回りにいないと、いくら本来そうでも、そうなりたいと思う自分であっても、そうではなくなってしまうのだか、と思ってた
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私はそういう人々といて、なんか自分もそうなりたいとか思ったりして、ちょっと頑張ったり、soulのfreeな仕方を学んだりした。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そして、ここに来て、そうだったけど、始めは、次第に最近そうではなくなってきた。平気で板チョコ一枚食ったり、ダサくなったり。
今から言うのは決して差別ではない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
ここにきて、いわゆるダサい人多くて、みんなかなり太ってて、おしゃれ、というか、creativeな人いなくて、independentな人見かけなくて。まあ、日本で友達だったような人々。
回りを気にしてる時点で一番弱いと思う。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
人間としてではなくて、
関係的に。
何をしたい?って尋ねて、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
ただ、ここにいたい。ってのが
理想。
理性で世界を駆け抜けようとしてた。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
だから、たくさんの国の文化、習慣を見て、その中で自分が正しいと思える物を学び、それに従って生きてこうと思ってた。
でも、その正しさが、合理主義の下に築かれているとしたら、それは、求めていたものではない気がした。
魂、って言葉があるってことは。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
やっぱ魂はあるんだろうな。
そんなに人間の感覚ってずれてないはずだよ。
こんなに酔ってても、やっぱり柔らかい肌がほしい。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
やっぱり私はレズなんだ。
柔らかい肌。柔らかい。柔らかさ。
日常や常識からは離れたこの本性。でも、外れたことはできないこの理性。
こんな人もいるんだよ。だから、自分探しが進まない。こんなに、背反してる人間だから。
理性にピントが合うのを避けてるんだ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
もうおばあちゃんはいないのさ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
この世界ってなんだ?
もうおばあちゃんはいないのさ。
この世界ってなんだ。
もうおばあちゃんはいないのさ?
この世界って何なんだ?
フツーの男の人が欲しいように、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
異常な女の私も、欲しいのさ。
そして、200年後には、誰もいない
21歳の私の思想が今までの経験も踏まえられ、語られる意見。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
それが私のベストの意見
男に求められる程、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私は女を求める。
国境じゃない。常識じゃない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
人種じゃない。言葉じゃない。
勉強じゃない。関係じゃない。
人間じゃない。
そんなものを探し続けてる。
悲しいのは、生きてるから
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
今に神経が向かない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
どうしよう
未だに祖母の死の受け止め方がわからない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
あなたは私の心を変えて、匂いも、色も、風景も、楽しさも、幸せも、必要なものも。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
なんだって変えた。
変えるなんてものじゃない。
生まれ変わらせちゃう。
風景を一変させちゃう。
どうだっていい
愛が形になってもよかったのにな。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そしたら示すことができたから。
どれだけあなたのことを愛してるか
de javu
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
雲の暗さも。教室の自分の席も。
回りの人の数も、まさに同じ。
孤独は、信じない限り、生まれない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
最近妙に頭の中に手突っ込んで、脳をぐちゃぐちゃにするイメージが思い浮かぶ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そうしたい欲望が妙にある
明日に何を期待する?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
昨日は何を期待してた?
感情に、信じてることも加えてみな
きっと、何かは変わってくるから
夢の中でこけるなよ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
しっかり踏みしめろよ
しっかり、しっかり、吟味しろよ
感覚で生きてるけど、生理前はやる気ッてのが失せてくことに気づいて、やっぱなんか、そんなもんなのかな?とか思った
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
道具の使い方を知らない生き物は
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
道具を使えない生き物より、
バカだ
求めなくなったら(諦めたら)
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
手に入ったって。
そんなもんだと思う。かな?
状況をできなり理由にしてたら、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
いつまでたってもできないよ。
せめて、足がかりくらいはできるもん。
ぜったい
自分らしさってのはきっと
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そうなりたい、そうでありたい、自分、
なんだろうな
あなたにそっくりな人を見て、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
視界は180度から30度に縮まって
思想は100個の疑問が1つのドキドキに変わって、
目ん玉は30%大きくなった
想像できても
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
楽しそうなら
いいんだよ
哲学者は、考えない人みたいな生き方はできないだろうし、考えない人も、もっち、哲学者みたいな生き方は、できないでしょう
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
急にインドに行きたくなった
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
枯れ葉とお札が一緒に舞ってるような、
messの所へ行きたい
自分をもし持っていないのなら、自身も崩れてしまいそうな。
そんな、はっきりとした所へ行きたい
生理の血を御法度にしたのは誰だ?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
死体を 〃
SEXを 〃
同性愛を 〃
マリファナを 〃
確実に存在するものを影に隠そうとしたのはなぜだ?
これらこそ確実なのだから、もっと正確な情報とオープンな姿勢が必要
哲学
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
自分の髪型なんてどーだっていい。
もっとclearでsimpleに生きたい
お金に行動を縛らせない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
他人に行動を縛らせない
もっとsoulの風通しをよくする
そしたら、世界がもっと軽くなる
1人の人間が亡くなっただけでも、どれだけの人々が悲しみに暮れるのか知っているから、5000とか、何万とか言われても、想像もつかないの
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
結局ニュースなんて、その時に聴衆が一番興味を持つ事を放送する。本当に私たちが知らなければいけないこと、考えなければいけないこと、より。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日