■
なんで人は、幸せを、幸せと、感じるのか
■
やりたい放題やろう。
でも、それって、何?
■
私は、自信があるかないかいで、
その物事への積極性が変わる。
Too muchな忍耐を美化したがるold日本人が
西洋の真似をしようとしたならば、
何も生まれない。
精神、文化、風土、土壌が違うのだから。
日本人は何でも苦しいように考える。
人生ってもっと楽しいって、ならない。
でも、日本語流暢に話せるし、長く住んでいるから、
日本に興味あるし、好きだと思う。
瞳に反射する風景がすべて被写体になり、
私は撮る方にまわる。
それだけで、世界観は変わる。
ずーーっと逃げてきた。逃げ道作ってた。
方法は、本気にならないで、いるということ。
それはずるいってわかってた。
本気になることも避けてきた。
本気になることは、なかなか楽しかった。
それは、人生を楽しむということ。
くだらない事でも、
それを「知る」ということは、
真実、現実なわけで、
ムダな事ではないと思う。
■
この世界に、
矛盾していない事なんてない。
芸術も。政治も。自然も。何もかも。
天才も。
■
素晴らしい人間になるために
無理難題が課されてく。
立派な考えや理論や言葉や人々に
会えば会う程ほど、
自分が醜くなっていく。
理想のじぶんとリアルな自分が、
あまりにもかけ離れていて。
目指そうと意気込んでいた日々の後に、
絶望の、失望の日々がやってくる。
19990609~
6/9
新宿御苑で髪切った。かなり短くなった。下北行った。Tシャツ1900円だったけど、かなり自分の身体にピッタリで気に入った。御苑で外国人の家族撮った。ものもらいばりに、目が腫れてた。かなり、まぶたかさついてる。帰りの電車の中でサラの笑顔が浮かんできて、涙を必死でこらえた。けど、ちょっとこぼれちゃった。死ぬ程会いたい。最近なんとなくわかった。つうか、やっとわかった。例えば、すごく、もう大事にしたいものとか、絶対に失くしたくないものとかがあったとする。でも、それが持続する事はなくて、例えばすごい大事だと、その時点で思っているものが、運悪く盗まれたりしたら、すごい後悔するけど、それは時が経つとそのうち消えていくし、まあ諦めもつくし、なんであそこまで固持していたかったんだろうとか思う。でも、最近、いくら時が経っても、いくら日々を重ねたとしても、絶対に失いたくないと思っている存在があることに気がついた。ひと時も離したくない。
それは、サラだった。
サラがこの世界で一番かわいくて、
サラがこの世界で一番自然な存在だ。
言い訳なんかいらない。
日本人は静かなんじゃなくて、
静かにするのが好きなの。
各文化を理解する前に、
まず、すべての人間を受け入れよ。
自分の気持ちを騙してるより、
それが汚いッてわかってても、
受け入れることの方が、
よっぽどいい。
私は健康に、何の痛みもなく、
過ごしていると、どんどん傲慢になっていく。
えらそうになっていく。でも、例えば、
偏頭痛がきたり、口内炎ができて、
痛かったりしたら、急に謙虚になって、
神様にごめんなさいって言う。
女性を好きな私が、
レズビアンを差別的に捉えているんだから、
どうしようもない。
同性愛がサブカルチャーでなくなったら、
私は、それでも女性を愛するでしょうか?
少数でありたいという欲望も、私をレズビアンに
こだわらせているのではないか。
日常で自分を表現しないで、
いつできる!?
私はただ女性の優しさに、
触れていたい。
今を面倒くさがっていたら、
一生、君は生きる事はない。
それを汚れたことと見たら、
みんな汚くなってしまう。
純粋に捉えたら、
すべては純粋だよ。
人間を
人民、国家、宗教の枠に捉える事は、
とても危険。
自分以外の人間に、時間を仕切られるのは、嫌だ。
あと30分しか生きられない!って言われたら、
誰も社会に使わせようとしないでしょ。その時間を。
私は、その感覚が、人生全体に備わっている。
ただ、感覚だけだけど。
では、自分で時間を使うということは、
一体、どういうことだろうか。
何をするのだろうか。
寝る、旅、テレビ、音楽、映画、農家、愛。
結局、人は働かずには生きていけない。
人間の定めは争い。
だから、今、国がある。
危険なことか、危ない事が、まるで格好いいことのように、思っているけど、
荒波の人生か、おぼっちゃま育ちの人生かってこと。日本は、もちろんおぼっちゃま育ちの国。その純粋な美しさに人々が気づく日は来るのだろうか。
主張しない、人間の魅力は、
どこにあるのだろう。
相手が機械じゃなければ、
人々は主張することを覚える。
自分がどう思われているか考える事は、
くだらない。
6/14
不安になったり、悩んだりすることで、学べる。
だから、それは大事な事。
そんな自分がいやだったら、
変えればいい。
変えるのも難しかったら、
あせらないこと。
君のその志は、きっと、いつか、
実るから。
叶うから。
信じる事は大事。
自分の悩みとか不安とか考え事が、
他人のものだったら
そのくらい大丈夫だよ!大したことじゃないよ!とか
全然大事には思えない。
でも、自分のことになると、本当に大事に思える。それが、自分のすべてだから。
考えること感じることのすべては、自分が背負っているから。
考えなかったら、何でもないこと。
リスクなど考えないで行動しよう。
先入観なしで生きていこう。
19970119 To Miami in airplane
思い出というのは、恐ろしい。それにいつまでもすがっていたら、今がつまらなくなる。結局、人は今を生きていて、生きるしかないんだから、あの頃は良かったというのは、あかん。それは、もうその思い出に縛られすぎてる。今を良くしていかないと。なんか、私は、興味&挑戦精神というかそんなものが、どうやらとてもあるらしく、回りが英語とかいう状況は、結構合うらしい。自分に不利なような状況。でも一回諦めたら、なんか全然ダメっぽいから、それだけはしないように1年ずっと頑張りたい。
昨日の飛行機では、あまりの思い出・悲しさに超浸ったかと思うと、次の瞬間からは、ガラッと変わって、これからの1年にドキドキワクワクしている自分がいた。こういうのが若さっていうのかなあと、フト思った。
私は本当にいい中学時代&すごい友達を持てて幸せだ。彼らは枠にハマってなくて、私の予想外のことをとことんやってしまうスゴい人達です。本当に出会えて良かった。でも、あまり早いうちにマジで嬉し経験・日々を過ごしてしまうと、今へのやる気が抑えられてしまう。今を傲慢に過ごしてしまう。それはダメだよね。
■
驕るのと、堂々とするのは違う
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
良い人々と出逢えたら、良い思いをしたら、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
親切にされたら、助けられたら、
悪い事をしようとは思わない。まず。
それは、カルマなんで名前のつくものではなく、
人間として、当然の心理だと思う。
自分だけに盛り上がってる時、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
ふと、インドの地震のニュースをみて、
正気に戻った。
人間て、自分をかわいがるのに、キリがないんだ。
感じてるだけの時間がある。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
思考は、停止している。
心と脳を持ってるんだけど、
心しか働いていない。
とっても、気持ちいいんだよ
いわば、永遠の思考、永遠の疑問を求めてる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そう、永遠の。
それを求める事は、
きっと、
永遠の悲しみ、永遠の喜びetcにしか興味がないことになるのかも
感情は、文字にならない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
こんな感じ、としか言いようがない。
今日は、あんな感じだった。
1人でいる時は、というか、回りに人が存在していない時は、ずっと哲学してられる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
淋しさも楽しさも悲しさも怒りも恥じらいも焦りもムカつきも、なにもない。
ただ、考えを巡らせてるだけ。
できればずーっと考えていたいが、
そうもいかない。
人といる時の自分は違うのさ。
プライドとかを持ってる
すっごいたくさんの偶然が重なって、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
今、私はここにいるんだ。
でも、その偶然が重なってできた道が、
たった一つある、自分の道なんだ
自分のことだけど考えた時の、やることと、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
回りの人々のことも考えた時の、行動は、
違う
無理して何かをやろうとは思わない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
旅したくなったら、するだけ。
行きたいとこ見つかったら、行くだけ。
どこもないんだったら、どこにも行かないだけ。
やりたくなったら、やるだけ。
やりたいから、やるだけ。
自分を磨き上げたい人。何か、を知りたい人。人間にあまり興味ない人。現代の生活に興味ない人。言葉にする前に考えちゃう人。すぐ、やっちゃう人。背骨がSの字の人。だから、左右対称じゃない人。すぐ肩凝る人。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私はどっちかというと考える人。写真が好きな人。青空が好きな人。人見知りする人。心開くのが下手な人。1人でいるのが好きな人。いつか死ぬのわかってる人。女の子が好きな人。人生の目的が名声じゃない人。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
自分の心を掃除すること。でもってこれがとても気持ちいい。歯磨くみたいに。たまった洗い物、全部洗ったときみたいに。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
それで、その心をどう、形に変えるか、考える。
今日は、どんな写真を撮ろう?って、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
考えて、まずすることが、自分の心に正直になる。
心のもやを消して、本当の姿を知る。
だからソクラテスの存在は知らないけど、彼の考えと言われている考えは、私が知った時点で、明らかに存在してる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私の中で、確実に存在してる。
目に見えないもの
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
信じればあるし、信じなければ、ない。
愛。が、そう。でも、考えは、目には見えないけど、
ない、とは否定できない。目に見えないけど、言葉にして、それを聞けば、その時点でそれは存在したことになる。言葉の存在。思考の存在。
私の理性
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私がそれを知ってるからそう思うだけ。知らなかったら、そんなのここに誰がいたとか、関係ない。
しかも、2500年前の話。信じないという立場をとった時点で、それは、なかったことになる。その存在は。
信じる→ソクラテスはいた。信じない→ソクラテスはいなかった。
唯一の真実は今
じゃあ、ぜーーーんぶ知ったら(全部の存在を把握したら)、誰にとっても、同じ面があるのかな?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
存在論
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私がいなかったら、この世界もない。
私にとって存在する→私が知る
私が見る
私が触る
私が聞く
私が見なくてもある→私にとってないもの
↑この世界のすべて
単純に私が今まで一度も物乞いの人、貧しい人を見た事ないし、知らなかったら、みんな、この世界は、それなりの生活ができてる、と思う。たとえ、物乞いの人がいてものね。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
経験に、規則性はあるのか?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そろそろ、1人で居るのにも飽きてきた。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
何が足りないって、愛が足りない
心が50kgになったら、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
あなたに会いにいく
ピントが合ってる、っていうのが、物を見るときの一応の基準。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
でも、ピントがずれてても、その「物」自体は変わらない。イヤ、変わるのか?
見る、っていうのは、一つの判断基準に過ぎない?
哲学的なこと。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そんなこと、どーでもいーさ、って自分と、
無意識に考えてる自分と、
それが私
青空と星空に、「飽きる」という言葉は、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
かなり関係ない。
雲が形を変えるんだ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
淋しさも、受け止められたら、いいのになあ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
写真も色々あるなあ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
クライアントの希望通りに撮れるカメラマン。
自分の頭の中のイメージを写真に収める、表現するカメラマン。
自分の何となくの主張を表そうとするカメラマン。
冷水をぶっかけるように、現実を追い続けるカメラマン
んで、今日久しぶりにゲイバー言って、いわゆる、creativeなのさ。で、私はまた、日本みたいなfeelingがでてきた。やっぱそれを分かってくれる人が回りにいないと、いくら本来そうでも、そうなりたいと思う自分であっても、そうではなくなってしまうのだか、と思ってた
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私はそういう人々といて、なんか自分もそうなりたいとか思ったりして、ちょっと頑張ったり、soulのfreeな仕方を学んだりした。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そして、ここに来て、そうだったけど、始めは、次第に最近そうではなくなってきた。平気で板チョコ一枚食ったり、ダサくなったり。
今から言うのは決して差別ではない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
ここにきて、いわゆるダサい人多くて、みんなかなり太ってて、おしゃれ、というか、creativeな人いなくて、independentな人見かけなくて。まあ、日本で友達だったような人々。
回りを気にしてる時点で一番弱いと思う。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
人間としてではなくて、
関係的に。
何をしたい?って尋ねて、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
ただ、ここにいたい。ってのが
理想。
理性で世界を駆け抜けようとしてた。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
だから、たくさんの国の文化、習慣を見て、その中で自分が正しいと思える物を学び、それに従って生きてこうと思ってた。
でも、その正しさが、合理主義の下に築かれているとしたら、それは、求めていたものではない気がした。
魂、って言葉があるってことは。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
やっぱ魂はあるんだろうな。
そんなに人間の感覚ってずれてないはずだよ。
こんなに酔ってても、やっぱり柔らかい肌がほしい。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
やっぱり私はレズなんだ。
柔らかい肌。柔らかい。柔らかさ。
日常や常識からは離れたこの本性。でも、外れたことはできないこの理性。
こんな人もいるんだよ。だから、自分探しが進まない。こんなに、背反してる人間だから。
理性にピントが合うのを避けてるんだ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
もうおばあちゃんはいないのさ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
この世界ってなんだ?
もうおばあちゃんはいないのさ。
この世界ってなんだ。
もうおばあちゃんはいないのさ?
この世界って何なんだ?
フツーの男の人が欲しいように、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
異常な女の私も、欲しいのさ。
そして、200年後には、誰もいない
21歳の私の思想が今までの経験も踏まえられ、語られる意見。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
それが私のベストの意見
男に求められる程、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私は女を求める。
国境じゃない。常識じゃない。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
人種じゃない。言葉じゃない。
勉強じゃない。関係じゃない。
人間じゃない。
そんなものを探し続けてる。
悲しいのは、生きてるから
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
今に神経が向かない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
どうしよう
未だに祖母の死の受け止め方がわからない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
あなたは私の心を変えて、匂いも、色も、風景も、楽しさも、幸せも、必要なものも。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
なんだって変えた。
変えるなんてものじゃない。
生まれ変わらせちゃう。
風景を一変させちゃう。
どうだっていい
愛が形になってもよかったのにな。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そしたら示すことができたから。
どれだけあなたのことを愛してるか
de javu
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
雲の暗さも。教室の自分の席も。
回りの人の数も、まさに同じ。
孤独は、信じない限り、生まれない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
最近妙に頭の中に手突っ込んで、脳をぐちゃぐちゃにするイメージが思い浮かぶ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そうしたい欲望が妙にある
明日に何を期待する?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
昨日は何を期待してた?
感情に、信じてることも加えてみな
きっと、何かは変わってくるから
夢の中でこけるなよ
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
しっかり踏みしめろよ
しっかり、しっかり、吟味しろよ
感覚で生きてるけど、生理前はやる気ッてのが失せてくことに気づいて、やっぱなんか、そんなもんなのかな?とか思った
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
道具の使い方を知らない生き物は
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
道具を使えない生き物より、
バカだ
求めなくなったら(諦めたら)
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
手に入ったって。
そんなもんだと思う。かな?
状況をできなり理由にしてたら、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
いつまでたってもできないよ。
せめて、足がかりくらいはできるもん。
ぜったい
自分らしさってのはきっと
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そうなりたい、そうでありたい、自分、
なんだろうな
あなたにそっくりな人を見て、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
視界は180度から30度に縮まって
思想は100個の疑問が1つのドキドキに変わって、
目ん玉は30%大きくなった
想像できても
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
楽しそうなら
いいんだよ
哲学者は、考えない人みたいな生き方はできないだろうし、考えない人も、もっち、哲学者みたいな生き方は、できないでしょう
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
急にインドに行きたくなった
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
枯れ葉とお札が一緒に舞ってるような、
messの所へ行きたい
自分をもし持っていないのなら、自身も崩れてしまいそうな。
そんな、はっきりとした所へ行きたい
生理の血を御法度にしたのは誰だ?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
死体を 〃
SEXを 〃
同性愛を 〃
マリファナを 〃
確実に存在するものを影に隠そうとしたのはなぜだ?
これらこそ確実なのだから、もっと正確な情報とオープンな姿勢が必要
哲学
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
自分の髪型なんてどーだっていい。
もっとclearでsimpleに生きたい
お金に行動を縛らせない
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
他人に行動を縛らせない
もっとsoulの風通しをよくする
そしたら、世界がもっと軽くなる
1人の人間が亡くなっただけでも、どれだけの人々が悲しみに暮れるのか知っているから、5000とか、何万とか言われても、想像もつかないの
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
結局ニュースなんて、その時に聴衆が一番興味を持つ事を放送する。本当に私たちが知らなければいけないこと、考えなければいけないこと、より。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
■
そう、いつも宇宙を見てる
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
なんでそれが「何」だって確定できるんだろ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
ただ、信じてることがそうなんであって、
現実がそうだとは限らない
人間関係は別の次元っていう気がする。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
それからは、この世界は学べない。だから、
興味ないのかな?
感覚でしか人と付き合ってない
どうして自分のペースで物事を進めないとダメなのかって。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
誰かから割り込まれて変な結果になったら、その人のせいにしちゃうから
宇宙誕生から見たこの存在のちっぽけさと、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
現実を直視した時にあるこの世界。
両方とも真実なんだけど、その割合がわからない
もう人と話すのが煩わしい
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
誰かが考えたことを言うんだ。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
そしてそれは、ただ、考えたことに過ぎないんだ
自分のdecisionでも、他人のdecisionでも、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
間違えるときは、あるのさ
まだ愛してるって
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
考えじゃない。心と身体がそう反応する。
それこそが真実。
もしかしたらあの頃の私が、あの頃のあなたを好きなだけかもしれないけど
感覚というか、直感で生きてる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
自分の心に染み込む・
染み込んだ心が、また直感を生み出す。
そうやって、生きてる。
だから、他人の意見は、あんまり入ってこない。
理想は、friendlyな人。かも。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
でもみんなとゲラゲラ仲良くなんて、
面倒くさくて仕方ない
私が目を逸らせば、それは存在しない事に、起こっていない事になる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
いや、現実には起こっているんだけど、
目を逸らせば、起こっていない。
まるで、この世界みたい
良い所だけしか見なかったら、この世界は、どんなに素晴らしいだろう?
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
悪い所しか見なかったら、この世界はなんて悲しいんだろ。
実際には、両方存在しているのはわかってる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
私がインドに行かなかったら、世界の見方はもっと変わってたかも。
私があなたと出会わなかったら、この世界への見方はもっと違ったかも。
本当は全部存在しているのに、自分が出逢ったか、出逢わなかったかで、何を見てるかで、
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
この世界の「面」が違う。
現実が思い出になる。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
現実と思い出の境界は曖昧だ。
考えは、経験の分析論。
— 二十歳の頃の自分 (@karamattattemou) 2019年10月15日
■
もうなんか目に浮かんじゃう自分なんだ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
いつでも、どこでも。
毎日、その自分が目に浮かぶんだ。
想像つくんだ。
それってすごい退屈なのさ。
もっと毎日にワクワク、ドキドキしてたいのさ。
他人の目じゃない。自分の目さ。
自分が描く自分が、もっと毎日新鮮でありたいのさ
Heart to Heart
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
語り合う。マジで。真剣に。
とんでもないことができちゃう。
そんな人たちが、
日本にはいるのさ。
自分にとっては特別なのさ
人を傷つけるのって、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
どんな気持ちなのかな?
人のこと考える前に、
自分の強さを見せることの方が大事なのかな?
変な人たち
起こるか起こんないかわかんないこと考えるより、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
今に集中した方がいい。って。
わかってるけどできないのさ。
ハートが不安で埋め尽くされてる。
あーもう。もう。
やだーーーーーーーーー。
逃げる所もない。
話す人もいない。
あーーーーーー。もーーーーーーー。
どうにかしてよーーーー
無理も焦りもよくないよ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
なーんにもしなくたっていい。
どこにいようが、誰といようが、
自分がそうしたいんだったら、そうすればいい。
失うものばかりでも、心を取り戻せるんだったら、良い写真を撮れるような心境になれるんだったら、何よりです
今、以外、何もないんだってさ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
急ぐこたーない。
のんびり行こうぜ。
焦るのは、自分じゃないよ。誰かだよ。
ゆっくり。ゆっくり。邪思想は捨てて。
自分らしくあることが、何より大事だって。
自分らしさ。自分らしさ。
とりあえず、生活できればいいよ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
ムダなものが多すぎる。
わかってるでしょ。
そして、何より、
生きてる、ってことが、
一番大事。
唯一の基本。
惑わされるな。
自分の本当の心を聞けるように。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
それって、大切なことだと思う。
哲学、の意味も、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
写真、の意味も。
わからなくなってきた。
それは、自分の存在、が、
ゆがんでいるとき
考え方次第で、同じ世界に、全く
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
同じ世界にいるのに、
こんなにも違うんだ
やりたいことの最中にいるときは、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
やりたい事がわからない。
言わば、今は、きっと、旅の最中。
1人で放浪してる。
4カ月目。
Identityが崩れてる。
同じなのだ。すべては同じなのだ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
生きてる、この世界に生きてることに
変わりはないのだ。
それ以外に一体何が欲しいというのだ。
あまえるな。もっと1本で行け
どっちにしても、良かったと思うこともあるし、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
やっぱあっちの方が良かった、って思う事もある。
大事なのは、人のせいにしないこと。
私が考える動物だから、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年10月2日
いつか死ぬ、とか、もし、とか
そういうこと引き合いにだして、
ブルーになってんだな。
同じ空間でも、考えなかったら、
本当に、今、しかないんだ。
ずいぶん違うなあ
解放
20000223
昨日、本当に、君への長い間の思いから放たれて、初めて、なんか、文章とかをそれ自体で楽しめた。君を好きになることで、狭まっていた視野が(全然悪い意味じゃなく)、初めて広がって、前の私みたいになった。世界を見れるようになった。
やっとなんか、ある意味でのケリがついて、眠りについた。
そしたらさ、どういう夢をみたと思う!?サラの夢を見たんだよ。
君が日本に来て、それか、どっか2人同じ国にいて、私は君をさらいに行った。螺旋状の階段を笑いながら上っていく君を途中で捕まえて、連れ去って、2人だけになった。私は君に愛してるって言って、サラも嬉しそうだった。2人でずーっと一緒に暮らしていこうってなった。そしてそれから少したって。
また、さっき私が君を連れ去った場面と同じ場面に戻った。
そして、今度は、私は君をさらわなかった。なぜなら、君には、彼氏がいるって聞いたから。そこに着いてすぐなのに、君はもう彼氏をつくってて、ログハウスの奥の長椅子に向かい合って座って、じゃれあってた。君は肌を露出した服装で。すごい楽しそうで。彼氏は金髪で、髪長い白人だった。それを見てて、君はもうあんまりこっち見なくて、すごいショックだった。それで、あーやっぱりもう諦めよう、とか、思ったっけ?忘れたけど、そういう夢だった。
さっかくケリつけたのに、なんで夢にでてくるんだよ!!
■
20000129
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
20歳までを自分の人生の一区切りと決めてたから、その後のことは全然決めていなくて、やりたいことをとにかくやってきた。でも20歳になった今そろそろ形となるものをやらないと、まあヤバいかなと思った。なんとなく、今感じてるのは、何かしっかりと土台を作ろうってこと。
20000211
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
今日受験票が届いたよ
20000205
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
私の人生の大きな違いは、君と一緒に暮らして愛し合うか、そうでないか、のどちらかでしかない。あとは子供10人産もうと、オランダでヤク中で死のうと、ナスカの地上絵の上でミイラになろうと、フォトジャーナリストとして世界中を駆け巡って有名になろうと。みんな同じ。
20000220
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
この頃わかったことは、私は自分のやりたいことをやらないと(自分を欺いて生きると)、自信をなくしてしまうということ。頭ではいくらわかっていても、この感情が言うことを聞かない。世間とのバランスをとろうと思って、大学行こうと思った。
周囲の目が気になって、いわゆるきちんと働き、学ぼうと思った。でも、やっぱり違うかなと思った。何ら自分の才能があるとは思わずとも、この自信はなんだ?社会の中で固まりたくない。本当は人間の起源も、遺伝子も、選挙もどーだっていい。ただあなたさえ、そばにいてくれれば
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
旅をしようにも、それは彼らのおかげでその行為ができる。頭ではわかってる。でも、感情が。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
私がもし、その社会の貢献者の1人になって、ずーっと自由に生きてる人に会ったら、いいなーって感情を抱くかもしれない。批判するかも。そんなのイヤだ。
そうか、自分なりの貢献っていうのもあるんだ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
いや、その前に、多分、私は、考え過ぎなんだ
■
19991120
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
今日から毎日手紙を書くことにしました
本を読んでいたら、自分が普段生活している、同じ時に、自然は、悠々と流れている、そういうのを知って、感動しました。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
私もそれと同じ様な体験がありました。
アメリカでバスケした時。それからボリビアで生活していた時。私が普段寝ている時に、この人たちは、こうやって生活しているんだなあと、妙に感動したというか、感心しました。地球だなッて。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
インドのある都市に行ったとき、日本人の家族の家に泊まったの。そこはフツーの住宅地で。朝起きるとベルの音が聴こえて、ベランダに行ってみると、牛を連れたおじさんが1人ゆっくり歩いてた。するとどこからか家族がやってきて、ミルクを搾ってもらって帰っていった。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
なんか嬉しかった
19991122
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
最近何が何だかわからない。色々な物を学べば学ぶほど、私の考えはかすんでゆくばかり。宗教、哲学、理論、意見。色々なものを学べば学ぶほど、何が真実だかさえ、分からなくなります。
例えば親に対しての考え。子供は宇宙、地球の産物であり、親のものではない。子に親の世話をする義務はない。親は、ただ産んで育てるだけであるというジャーナリスト。母は好きじゃなかったと言ったリンカーン。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
じゃあ、私の意見は?って。それがわからないから色々な人の意見を聞いてる。そして流されている。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
考え、たどりついた所、たった1つの絶対的なことは、あなたといると楽しい、ってことだけでした
19991130
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
何をやりたいのかわからなくなってきた。少し前まで、勉強したいから、ハワイ大学に行って、色々学びたいと思ってた。歴史とか、哲学とか、ジャーナリズムとか。でも、哲学は、世界を救えないって、気づいた。
歴史も本を読んでたら、クスコでインカ時代のミイラが見つかった時、調査のため冷凍装置でアメリカまで送って、それでまた飛行機で戻して、また冷凍装置に入れて保存している。なんか、それ聞いてたら、冷めてきた。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
500年前のミイラをそこまで大事にして、お金かけて、調査される。それで正体を表していく歴史って一体?みたいな。ジャーナリズムも「報道」の意味が、いまいちよくわからないし。じゃあ、私が求めていることって何?て言うと、まず貧しい人間を助けること。世界を感じること。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
でもここに問題が一つあって、なぜ自分が貧しい人々を救いたいって感じるのかを問いつめると、それは、かわいそうな、悲しそうな人々を見たくないから。つまり、自分への防御心から、その気持ちは来ている。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
じゃあ、例えば、私が世界の貧困も戦争も全部取り除いたら、もうかわいそうな悲しそうな人々がいなくなるのか?ていうと、それは違う。まず、絶対に止められない天災。そして、人の死。それは誰にも止められない。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
死は必然で必ず悲しむ人がいる。この世界から悲しみを排除したらダメだと思う。悲しみがあるから、喜びがある。相反するバランスが必要だから。悲しまないと、喜べない。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
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— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
最近CMとか見ても、冷めてしまう。ただ、身にしみてわかったのが「ああ、こういうのが資本主義なのか」っていうこと
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— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
なぜこの世に科学は誕生したと思う?科学的思想への道をつくった発端は、哲学だと思うんだよね。哲学的思想が科学を発達させたと。
私、最近、また、勉強したいと思うようになってきた。大学に行こうと思って。予定は最初の2年はハワイのコミュニティーカレッジに行って、それから4年生大学に編入して卒業したい。特に、哲学とジャーナリズムと写真を学びたい。時期は再来年の夏頃からを考えてるよ
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
沢田教一も悲しんでる人や苦しんでる人を撮るのが、本当にまっとうなことなのか?考えてた。でも、私は今まで、戦争の写真を撮りたいと思ってた。それは、ある意味、漠然とでもあるし、非現実性に惹かれたとも言える。だからといって、戦争を写真に収めることに何の意味があるのか?
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
私がそれをやるかやらないかで、別に何も変わらないかもしれない。報道する人は、たくさんいるし。でも、ここで、初めて誰にも報道されない戦争というのを考えてみた。それは、あまりにも無惨すぎる。そこに、真実が生まれる余地はない
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
その現場で、1人だけ報道という無関係な人間が存在することに不平等さを感じてた。でも勝利に命を賭けていたり、平和に命を賭けていたりする人の中で、自分自身も報道に命を賭ければ、そこに矛盾は生まれない。非当事者が認知して初めて、それは戦争として存在する
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
今日はそんなころを考えてた。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
平和は永遠ではない。戦争も永遠ではない。でも、
平和を願う人間は、永遠である。
19991216
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
最近非物質的な生活に慣れてきた。ここは田舎だから、東京のように物が溢れていない。最初は不自由で、退屈で、欲望が満たされないから、不満だらけだったけど。今はちょっと行けば何でも揃ってる状況を窮屈に思う、というか、不自然に思う。
あんなの異常だよって。
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— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
今、哲学の勉強してるんだ。久しぶりに、600ページ位の本を読んだよ。哲学って、人々の考えから成り立っている学問だって考える面白いよね。科学よりも、私にとってreal
私は最近永遠や、普遍を求めているのがわかった。それが、哲学への好奇心だと思う。永遠なものって何だろう?て考えてた。それは毎日照らしてくれる太陽や風や空だと思った。私が死ぬまで、毎日太陽が照らしてくれて。空も常にある。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
やっとランボーの詩の意味をちょっと理解できた気がする。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
「見つけたよ。
何を
永遠を
太陽を溶かし込んだ
海だ」
千年の人生を生きた人の人生論は絶対に聞けない。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
平均寿命が30年の人間だったら、もっと社会も変わるだろう。でも、こういうことをいくら言っても、結局は非現実的な理屈。
帰ってくる時におもーいリュックしょってきたから、まだ背中が痛いよ
19991230
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
悩んでる。大学に行こうか、働こうか。
突き詰めると私はこの社会で生きていきたいのか?私は前まで日本の大学になんか絶対に行きたくないと思ってた。勉強したいから学校行くのに、なんで入学のためにあんなに勉強しなくちゃいけないのか?その根本的矛盾から行く気がしなかった
20000107
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
私は大学受験することに決めたよ。できたら、ギリシャのアテネ大学に行きたい。ハワイ大学って言ってたけど、アメリカっていうことにちょっと抵抗持ってて。何より、哲学発祥ていうのが、私には魅力なんだ。
20000108
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
明日はレッチリのコンサートに行ってくるよ
■
人生は、まるで映画のように。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
ストーリーを一気に見ることはできない。
画面、画面でしか、携わることはできない。
で、気づくと、ストーリーとなって、つながってる。
過ぎた場面は、脳内で今と合体して、何かを生む。
上映時間の長い、映画
大丈夫。みんなつながってるから
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
頭の中は空っぽでいい。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
いつもドキドキ詰め込んでればいー
だいたい暗くなるのがオチだなあ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
こんなにきれいな大自然を前にして、
歴史上の人間が犯した過ちなんかを
この脳は考えてる。
こんなに目の前の風景はきれいなのになあ
罪悪感の中で生きるのは嫌だなあ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
ジレンマの中で生きるのはいやだなあ。
この空間だけを信じよう
わざわざ考えることはない。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
考える暇があるなら、笑顔を振りまこう。友達を作ろう
私の特徴は特別なのではなく、性質なだけだ。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
単なる違いなだけだ。特別なのではない。
そうなだけだ。そしてみんな違うのです
すべての人を認めようと思う
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
すべては相対的なはずなのに、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
プライドが高い。頑固。素直じゃない。
この傾向の人は友達を作りにくい?
何からも悟ろうとする。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
教訓を得ようとする。
そのままの、あるがままで、
すべてはいいのに。
裏も表もない。そのままが、すべての事実だよ
人ってどんどん変わる。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
影響して、されて、して、して、されまくって、
人ってどんどん変わる
海の世界を見た。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
夢の中みたいだった
相手にperfect求めるな。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
誰もperfectじゃないんだから
想像力がなくなったら、未来がなくなる。
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
記憶力がなくなったら、過去がなくなる。
社会がある限り、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
社会にシステムがある限り、
反対派も生まれる。
システムに従い、幸福に生きていくのは難しい。
人間に想像力がある限り、
ユートピアに生き続ける
本当の自分は本当の自分は、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
形がない、顔がない、
無色透明の、感覚のない。
無色透明が、ちょっと近所に遊びに、
この世界に入り込んできた。
ちょっとしたお遊び。
この感覚を信じなければ、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
何も信じなくてすむ
感覚によって読み取ったデータを
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
脳内に流し込む
私が気になることが、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
他の人には気にならない。
何にも気になんなきゃいいのになあ
logicによって修正可能な感情は、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
私の本当の声ではない
心の声は、logicとは無関係
何かを見る時、どうなのか想像してから見た方が、楽しい
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
権力は、
— 20年前の自分 (@karamattattemou) 2019年9月16日
自然が持ってればいい。
人間に委ねなくていい。